2014-07

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はじめに

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 いつもご愛読ありがとうございます。いよいよこのブログの内容が本となり、角川学芸出版から 「百人一首と遊ぶ 一人百首」 として出版発売されます。カラーの写真や仮名で歌を書いた継ぎ紙も挿入しています。ご期待ください。



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           は じ め に


このブログの題名をご覧になった大部分の方は、百人一首のカルタ取りの遊び方を書いているものと思われたことでしょう。以前の私も百人一首を使った遊びと云えば、カルタ取りか、子供たちと興ずる「坊主めくり」しか思いつきませんでした。


 ところが、つい最近ウェブサイト「やまとうた和歌 百人一首に唱和しよう」に出遇いました。

百人一首の百首各々に、同趣の歌、恋歌であれば返歌など、自分が詠んだ歌をつける方法です。日ごろから古語を用いて短歌を詠んでいた私は、何首か投稿しているうちにその面白さに魅せられ、一人で百首詠み、「百人一首と遊ぶ 一人百首」と銘打って、各首に簡単な解説も付けて纏めることを考えました。


「一人百首」を詠む楽しみは、次のような点にあります。


一 百人一首は諳んじていても、意味を十分に分かっていると限らないが、「一人百首」を詠むことで歌の意味を理解することができる。


二 現代の短歌では、歌を互いの心の遣りとりとして詠むことはないが、百人一首に最も多い恋歌に返歌などを詠むことにより、遠い昔の人たちと心を交わす体験ができる。


三 百人一首の中に「題詠」や「本歌取り」の歌が多いが、同じ「歌題」で題詠をしたり、百人一首を本歌として本歌取りができる。


四 中国の故事、源氏物語、枕草子、謡曲などとの関連を知ることが  できる。


百人一首は日本が世界に誇る文化遺産です。本ブログを契機に、百人一首の新しい楽しみ方が広がることを願っています。



もし、面白いと思われれる歌があれば、その歌の「拍手ラベル」をクリックして下さい。



百人一首の各首の解釈、およびこれに関連する事項について全般的に、島津忠夫=訳注 角川ソフィア文庫「新版 百人一首」と、鈴木日出男ほか共著 文英堂「原色小倉百人一首」を参考にさせて頂いたことを記して、感謝申し上げます。


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天智天皇

(百人一首1)天智天皇

秋の田のかりほの庵の(とま)を荒みわが衣手は露にぬれつつ         

(一人百首1)

秋の田のかりほのいとど露にぬれ君が行幸(みゆき)を待ちわびにけ

 

百人一首と遊ぶには、その歌の意味を知る必要がある。百人一首冒頭のこの歌は、秋の収穫のために、田の畔に建てられた粗末な仮屋に泊る農民の苦労を思って天皇が詠んだもの、というのが一般的な解釈。 

 これに対し、この歌は夜に訪ねてこなくなった男性を怨む女性の歌で、しかも天皇が女性の身になって詠んだという説がある(注1)。袖が露に濡れるというのは、平安時代の閨怨の歌にみられる常套の表現であり、男性が女性の恋歌を詠うのは、現代の流行歌でも女性の恋歌を男性が作詞し男性歌手がよく唄っているので頷ける。歌の意味は、このように二層に理解できる

 

そこで「百首」は、農民の気持ちを刈り取られた稲穂に仮託し、天皇の行幸を幾夜も待ちわびていっそう(いとど)露に濡れたという意味で第一層を詠い、第二層は粗末な仮屋にいる「いとど」(竈馬の古名、翅がなく鳴かない虫)が、女性の化身となって、泣く声もなく閨怨の涙で身を濡らしている、と詠んだもの。

  
(注1)  「新々百人一首」584頁 丸谷才一著 新潮社


持統天皇

 

(百人一首2)持統天皇

  春すぎて夏来にけらし白妙(しろたえ)の衣ほすてふ天の香具山


(一人百首2)

  白妙の衣たゆらにかがよひて君かぐはしき大和(やまと)国原

 

 初夏のある日、藤原京の高台から天の香具山を眺めていた女帝は、山裾の新緑の中に白いものがあることに気づかれた。側近に尋ねたら、夏が来たので干している白妙の衣であるという。


 物見高い「百首」麻呂は、さっそく香具山に向かった。目の前にみる白妙の衣は、新緑を渉ってくる爽やかな風に揺れ、初夏の明るい日差しに映えて眩いばかり。そのかぐはしきことは、女帝自身のようにも、女帝が統べる大和の国原そのもののようにも思われた。


 この百人一首は、単に春から夏への季節の変化を詠った歌でなく、女帝が四季の美しい国土を称え、民の暮らしを思いやった「国褒め」の歌だと思う。「百首」は、そのような独自の解釈に基づいて詠っているもの。

「かぐはし」は「香具山」を醸している。なお、「たゆらに」という古語は、古語辞典では「揺れ動くさま」の意に説明されているが、用例が少なく定説がないらしい(注2)。女帝を謳うにふさわしい語感であるので、あえて用いた。

 
  注2 「古語大辞典」1028頁 中田祝夫編監修 小学館


柿本人麻呂

(百人一首3)柿本人麻呂


あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む


(一人百首3)


あしびきの山谷の瀬の滝川のたぎつ思ひをたれか知るらむ

 

百人一首はひとり寝の長い夜の悲しみを、尾が長く、夜になると雌雄別れて寝るという山鳥を引き合いに出して詠っている。

これに対し「百首」は、誰も知ってくれない溢れる思いの辛さを、山谷の滝で激しく滾っている川も、静かに流れる里では誰もそれに気づかないことに着想して詠ったもの。


初句の「あしびきの」は「山」にかかる枕詞、三句目までが四句を引き出す序詞、すなわち百人一首では「ながながし」、「百首」では「たぎつ」を引き出している。

そのほか、初句から「の」を四つ重ねて畳みかける手法も、同じである。

さらに、百人一首は二句から四句の各句に「を」音を入れて長いという感じを与えているが、「百首」は、二句以下の各句に「た」音を配置して、滾る水のリズムを一首全体に響かせている。


この百人一首の歌は、万葉集にあるが、「或本歌曰」とあるだけで、人麻呂の歌との記載がない。

山辺赤人

(百人一首4)山辺赤人


田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ


(一人百首4)

 

(あま)(べに)の見越の崎の海の()に富士の夕影さだまりてあり

 

見越の崎は、今の鎌倉の稲村ヶ崎近辺の古称。

「見越し」という語は、物越しに見ることを意味するから、昔から、松ヶ枝越しに、あるいは江ノ島、箱根の山越しに富士山が見えた場所である。

静岡県の田子の浦と比べると富士山から相当離れているので、富士山の影は小さい。


しかし、西空に富士を望むので、夕焼けのときは、天が紅を背景に灰赤色に染まった富士の夕影が、海を前景に浮かび、まさに切り絵のようである。そのような日には、何十人ものカメラマンが、きまって三脚を立てているビューポイントである。


どちらも絵画的であるが、百人一首はおそらく午前中の富士で、雪が降り続いている動的な情景、「百首」は夕刻の富士で、静的な景色であるのが対照的。

 

猿丸大夫

(百人一首5)猿丸大夫


奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき


(一人百首5)

遠火影(とおほかげ)消えゆく峰田(をろた)に鳴く鹿の声かた去りて秋ぞ悲しき

 

 近くにある火影は身も心も温めてくれるが、遠くに見る火影は寂しい。まして火影がだんだん小さくなり、消え入りそうになると不安が増してくる。折しも、今まで鳴いていた鹿も立ち去ってゆくのか、その声も絶え絶えになり、秋の夕べは色も音もない深い闇につつまれてゆく。


百人一首の歌については、「紅葉踏みわけ」ているのが、人か、鹿か、解釈が分かれているようである(注3)。また、「紅葉」も、本来、萩の黄葉であるという。いつの間にか、楓の紅葉で、深まる秋の寂寥を詠った歌と思われるようになったそうである(注4)。

それは鹿の声を詠っていることによるもので、秋に、牡鹿が妻(雌鹿)を求めて鳴く声は、古来悲しいものとされている。


「百首」麻呂は、昔、鈴鹿山脈を登山中、鹿道に野宿し、夜中に近くまで来て鳴く鹿の声に目を覚ましたが、その澄んだ高い音色、鳴く間合いの訴えるような哀調が、今も耳の底に残っている。


  注3  「新版百人一首」214頁 島津忠夫=訳注 角川ソフィア文庫

  注4   同上22頁

 

 

中納言家持

(百人一首6)中納言家持


改訂いたしました。

末尾に掲載しております。

安倍仲麿

(百人一首7)安倍仲麿


天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも


(一人百首7)

はろばろと来し異国(ことくに)の月明かりわが影ひとつ石敷(いしじき)にあり

 

百人一首は、異国の夜空に昇る月を仰いで、故里の三笠山に出ていた同じ月なのだと、望郷の思いに駆られている遣唐使の歌。

「百首」は、ひとり外国を旅している「百首」麻呂が、ある宵、見知らぬ街を散策しているときの情景を詠んだもの。


 ちょうど満月の夜で、月明かりに浮かぶ黒い山影も、街並みの影も、異国の影そのもので、故国と同じである筈の月でさえ、異国の容貌をしていた。ああ、やはり遠い国に来たのだという思いに、ふと足元を見ると、石畳の路におちているわが身の月影は、故国で見る影と全く変わらない。


李白の唐詩「静夜思」の「挙頭望山月 低頭思故郷」の句が心に沁みる夜であった。

喜撰法師

(百人一首8)喜撰法師


わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり


(一人百首8)

わが庵は都のひつじさるぞすむよか枕辺(まくらべ)と人はいふなり

 

宇治は京都の東南(辰巳=たつみ)の方向にあり、「百首」麻呂の住む鎌倉は東京の南西(未申=ひつじさる)の方向にある。どちらの地名も歌に詠みこまれている。


現在の鎌倉は、東京近郊のベッドタウン(枕辺)としては、明るい海浜に面し、谷戸はまだ緑に恵まれている。喜撰法師とは違い、人からは良い(よか)処に住んでいますねと云われることが多い。ただ、法師のように隠棲している身分でない多くの住人にとって、仕事のために都に一時間余かかる通勤は「憂し」というなりか。


喜撰法師が住んだ頃の宇治のように、鹿はいないけれど、今の鎌倉でも、栗鼠や狸なら人家の近くまで現れる。

宇治は平安時代、京都の貴族の別邸があったところ、鎌倉は戦前、東京の別荘地であったところ、に共通点があるようだ。

小野小町

(百人一首9)小野小町


花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに


(一人百首9)


夢に酔ひゆうべはかけし世の中もあかとき覚むればあした露けし

 

百人一首は、桜の花が長雨に空しく色褪せてしまったように、自分の容姿もいたづらにもの思いに耽っている間に衰えてしまったと、嘆いている女性の歌。

掛詞を駆使し「ふる」を「降る」と「経る」に、「ながめ」を「長雨」と「眺め」に掛けている。


「百首」は男性の歌で、女の「色」に男の「夢」を対比。 

夕べは、酒に酔い夢に酔って、自分の夢が世の中ですべて実現しそうな気がして眠りについたが、早朝、目が覚めて朝露をみると全てはかないもののように思えてくる、人生はこの繰り返しと、こちらも嘆いる。


古代人は、一日は「ゆうべ」に始まり、「よひ」「よなか」「あかとき」「あした」と進むと考えていたそうな。

「百首」は、これらの言葉を縁語として、一首の各句に全て詠みこんでいる。

 

蝉丸

(百人一首10)蝉丸


これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関


(一人百首10)

恋ひ恋ひて文を人をと遣はせど君は()かじな逢はじしままよ

 

百人一首は、逢坂の関における旅人の様子を「行く」と「帰る」、「知る」と「知らぬ」、「別れ」と「逢ふ」の対の言葉を三つ重ね、軽妙な調子で詠んでいる。

この軽妙さを真似て、「百首」麻呂はつぎのような意味の恋の歌を作った。


あなたをこんなに恋い恋いて、幾度も幾度も手紙を差し上げ、何度も何度も人に私の気持ちを伝えてもらったけれど、あなたは家の門を開けようともせず、心も開いてくれようともせず、逢ってくれようともしないままですね。


「開かじ」に「明石」を、「逢はじしまま」に「淡路島」を響かせている。

 「文」と「人」を対にすると共に、「明石」と「淡路」が地理的に対面している関係にあるので、「開かじ」と「逢はじ」も対になっているという趣向。

ところで、こんな歌を「明石の君」に贈ったら、どんな返歌がくるのだろうか。

 

参議 篁

(百人一首11)参議 篁 


わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと人には告げよ海人の釣舟


(一人百首11)


奥山におそ春かけて出で立ちぬと人には告げよ里のうぐひす

 

百人一首は、上皇の勘気にふれ、隠岐に島流しされることになった人が、これから行く船路を思い、失意のなかで詠んだものという。


人は、遠島のような意に反した旅でなくとも、日常を離れて旅に出たいと思うときは、心に鬱々としたものを溜めていることが多い。そんなとき、旅先で自分の思いを、人に限らず、鳥でも花でも、物にまで語りかけたくなることがある。


「百首」は、あわただしく過ぎ去って行った春の日に、老いゆくわが身を憂い、失意に陥りそうになった人が、もう一度春に逢いたくなって、奥山に春を探しに行こうと思い立ったときの歌。

山は高くなるにつれ春の訪れは遅く、奥山に行けば、里では過ぎた春にもう一度遇うえるのである。

 


僧正遍昭

(百人一首12)僧正遍昭


天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ 

            

(一人百首12)

松ヶ枝に羽衣あらば返さでや乙女の舞を永久(とわ)に見まほ

 

百人一首の歌は、毎年新嘗祭で五節の舞を舞った乙女らを詠ったもの。

舞姫が天女のように美しいので、風よ、雲の中の通り路を吹き閉じてくれ、天女が天に帰れないようにしてもらい、もっと舞を見ていたいからと詠ったもの。


「百首」麻呂は、なぜか羽衣の天女の伝説を想起した。舞姫らが天女だとすれば、羽衣をどこかの松ヶ枝に掛けている筈。天女を憐れんで羽衣を返した三保の漁夫とは違い、羽衣を返さないで、天に帰れない天女の美しい舞をいつまでも見ていたいという願望を詠んだ一首。羽衣伝説は、日本、いな世界各地にあり、むしろ羽衣を返さないで天女と結婚したとの伝承が多い。


また、乙女の舞といえば、中国奥地の少数民族の村、あるいはシルクロー

ドの街を旅行したときに観た、地元の乙女らによる伝統舞踊を想い出す。

これらの地を経由して、古代の日本に伝わった舞が、五節の舞となったのであろう。

 

陽成院

(百人一首13)陽成院


筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる


(一人百首13)


筑波嶺の二並(ふたな)峰の色もみぢ散りてぞ淵にその身かさねむ

 

筑波山の頂は男体山と女体山の二峰に分かれており、古来、この山に託して多くの恋歌が詠まれた。この百人一首もその一つである。

 山頂の下に源を発する男女(みな)の川の流れが大きくなって淵となるように、私の思いもだんだん深くなって恋の淵となったというもの。


 筑波山はさすが恋の歌垣、川のほかにも歌材にこと欠かない。そこで「百首」は「紅葉」を登場させて詠んだ。


夏には、遠くに互いの姿を望み、焦れつつも動けずに、男体山と女体山に離れて思いの葉を茂らせていた二本の樹も、秋には、互いに美しく色づき紅葉葉となって、一陣の風を合図に舞い散れば、男女の川の瀬に浮かび、やがて淵に流れ着いて一緒になるだろうという、恋愛成就の一景。


河原左大臣

(百人一首14)河原左大臣

 

陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにしわれならなくに


(一人百首14)


みちのべの尾花がしたゆ思ひ草薄き思ひのわれならなくに

 

相聞歌は、花や草にこと寄せて詠うことが多い。

「百首」は「思ひ草」に寄せた相聞歌である。

思ひ草は、緑葉をもたないが、尾花の根元に寄生し紫紅色の美しい花を咲かせる。万葉集に秋相聞歌として「みちのへの尾花が下の思ひ草いまさらさらに何をか思はむ」がある。


「百首」はこれを本歌とし、道の辺に生えている尾花の下でひそかに咲いているが、だからといってあなたに対する思いが薄いわけではない、と詠っている。

「したゆ」の「した」は心を意味し「こころから」の意。尾花は「薄(すすき)」のことであり、「薄い」と漢字が同じなので、「薄き」と掛けた。


なお、思ひ草は、その姿が煙管(キセル)に似ていることから、「南蛮煙管」という別名がある。


光孝天皇

(百人一首15)光孝天皇


君がため春の野に出でて若菜つむわが衣手に雪はふりつつ


(一人百首15)


君つみぬ若菜めづればわが袖はあらぬ雪にやぬれつつぞある

 

若菜を贈った相手がどのような関係の人か不明であるが、「百首」は贈られた人は恋人(女性)であるとして返歌を詠んだ。

春の七草を食すれば邪気を払い健康を維持できると信じられており、今でいえば「健康食品」であったろう。日本人の健康食品好きのルーツをみる思いがする。


しかし、古代人にとってはそれだけではなく、若菜は、長い冬が終わり春の到来を告げるもっとも身近な生物であり、これを食することは生の喜びと重なっていたと思う。

そんな貴重なものを自分のために、まだ寒い荒野(あらぬ)の雪の中で摘んでくれたと思うと、雪もあらぬ邸内にいる自分の衣の袖が濡れてくる、という返し。


もっとも、天皇自身が若菜を摘んで詠った歌かどうか分からないが、本歌も返歌も歌の世界の話である。


中納言行平

(百人一首16)中納言行平

 

たち別れいなばの山の峰に()ふるまつとし聞かば今帰り来む


(一人百首16)


君いなば都大路も口遊び秋の帰りを今かとぞまつ

 

今も昔も、官吏の昇進、転勤は本人はもとより、世間の関心事である。

百人一首は、行平が地方官として因幡に赴任するに際し詠ったもの。これから任地の因幡に行くが、そこにあるという「いなば山」の松ではないが、都で待ってくれていると聞いたら、すぐに帰ってくるという意味。


これに対し「百首」は、都大路のお喋り雀たちが、行平は行っても、秋の除目には都に戻ってくるにちがいないと噂している歌。

秋には京の官職を、春には地方官を任命する「除目(ぢもく)」があったそうであるが、「都大路もくちすさび」の中に「ぢもく」を詠みこんでいる。


行平は、ほんとうはいつ都に帰ったのだろうか。二年余りで昇進して都に帰り、その後も地方赴任と帰京を繰り返したようである。現代の公務員、会社員等を見るようである。

 

 

在原業平朝臣

(百人一首17)在原業平


 ちはやぶる神代も聞かず龍田川からくれなゐに水くくるとは


(一人百首17)

ちはやぶる神代も聞かず真青(まさお)なる星がおのらの産土(うぶすな)なるとは

 

平安時代随一の人気男、業平殿が驚いている。

「信じ難いことが多い神代の昔から、だれも聞いたことがない。龍田川の流れが、紅葉によって真っ赤にくくり染めされることなど・・・。」

そうですか。業平殿、こんなことも聞いたことないでしょう。

「私たちが生まれたこの土地が、青い星だったなんて・・・。二十世紀後半、宇宙飛行士から初めて聞いたことですから。」


ところで、落語の「千早振る」は、この百人一首の意味を八五郎から聞かれたご隠居が、「龍田川」という相撲取りが、千早と神代という姉妹の花魁に振られる話として解説することで有名だが、ついでに「百首」もご隠居に解説してもらえば、こうなるだろう。


姉の千早さんにふられ、妹の神代さんにも聞きいれてもらえず、真っ青になった星の王子が、これで自分も初めて土がついて黒星になったと嘆いた歌だ。さすがご隠居。


藤原敏行朝臣

(百人一首18)藤原敏行朝臣


住の江の岸に寄る波よるさへや夢の通ひ路人目よくらむ


(一人百首18)


(かた)男波(おなみ)夜ごと岸辺に寄せくれば夢の浮橋絶ゆと聞きけむ

 

男性が女性の立場で詠んだ閨怨の歌(百人一首1参照)。

返歌は、「百首」麻呂が、男性として詠んだもの。


人目を避けなくてもよい夢の中でさえ通ってきてくれない、とあなたは怨みごとをいうが、住の江の岸はこのところ波が高く(片男波)、夢の浮橋が壊れてしまったと聞いたので、あなたのもとへ通えなかった、という意味。

しかし、第二層の意味は、あなたのもとへは夜ごと「男波」がうち寄せているそうで、あなたとわたしを渡す浮橋はもうとっくに絶えているという、男の恨みごと。


「夢の浮橋」は、源氏物語の最終巻の巻名で知られ、薫と浮舟の恋の行く末を象徴している。源氏物語を口語訳した与謝野晶子は、この巻頭に「明けくれに昔こひしきこころもて生くる世もはたゆめのうきはし」と詠っている(注5)。

   注5  「源氏物語下巻」359頁 与謝野晶子訳 河出書房

伊勢

(百人一首19)伊勢


難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世を過ぐしてよとや


(一人百首19)


難波草根は深ければ逢へぬ世を悪しかりけりとよしや思はじ

 

 難波潟は、古来、芦(「よし」ともいう)の名所で、多くの歌に詠まれている。

百人一首のこの歌は、芦の節と節との間ほどの短い時間も逢わずに、過ごせというのですか、という女性の切ない叫び。「芦」「節」「世(節=よ)」が縁語である。


「百首」は男性の返歌で、難波潟の芦は根が深いように、二人の縁はもともと深いから、ちょっと逢えないからといって、二人の仲が悪しかりとは仮にも思わない、という意味。

「難波草」は芦のこと、あし(悪し)、よし(よしや)と、三つの別名を詠み込んでいる。


晩秋に、屋根や葭簀の材料にする「芦刈り」が行われ、大和物語の「芦刈説話」が生まれた。

夫婦が貧困の故に別れ、妻は京に宮仕えしやがて豊かな身となったが、気懸りで郷里を訪ね、刈り取った芦を売っている貧しい元の夫に出会うという話。

後に謡曲「芦刈」となった。(注6)


   注6 「古今短歌歳時記」1079頁 鳥居正博編著 教育社

元良親王

(百人一首20)元良親王


わびぬれば今はた同じ難波なるみをつくしても逢はむとぞ思ふ


(一人百首20)


みをつくす心しあらば難波江のよし折らるとも根は枯るるまじ

 

不義が発覚して進退極まった男性が、相手の女性に対し、もうどうせ同じことだから、わが身が破滅してもなおあなたに逢いたいと贈った歌。その女性がどんな返しを詠んだか知らないが、「百首」麻呂は女性の身になって、このような意味の歌を詠んだ。


「身を尽くすお心があれば、たとえ破滅させられるようなことがあっても、二人の思いは変わらないでしょう。」

百人一首の「みをつくし」は「澪漂」、「百首」の「よし」は「葭」に掛けており、いずれも難波江の名物である。「澪漂」は、船の針路を示すため、海に立てられた杭のこと。


なお、「根は枯るるまじ」は「根は離るるまじ」に掛けており、二人は離れることはないだろうという意味と、さらに「根は刈らるまじ」、すなわち二人の思いまで刈り取られてしまうことはないという意味も響かせている。

 

素性法師

(百人一首21) 素性法師


今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな  

(一人百首21)


有明の月は出づともわが袖にあだしの露のおかずとしらまし

 

この百人一首も、男性が女性の身になって詠ったもの。

すぐゆくと云って下さったので待っていたのに、あなたは来ず、有明の月を待つことになってしまった、との意。


これに対する、「百首」の返し。やんごとなき用で行けず、有明の月が出て朝になったが、わたしは決していい加減なことを云ったのではないことは解って欲しい、というもの。

 これは「あだし」に「徒し」という字を充てたときの意味だが、「他し」という字を充てれば、「他の処の露」となり、「他の処に行っていたと思わないで下さい」と、より言い訳めいてくるからおかしい。


 ただし、この百人一首の解釈については、前述の「一夜説」と、何か月も待ったので長月を見るようになったという「月来説」とがある。(註7)

 

   注7 前掲「新版百人一首」55頁 


文屋康秀

(百人一首22)文屋康秀


吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ


(一人百首22)

(もみ)を焚く煙り刈田にたなびきて(のぎ)に火を添ふ秋はいぬめり

 

百人一首は、「山風」は「嵐」であると、文字遊びをした歌。この遊び方を「離合詩」と云い、もとは中国の漢詩から来たようであるが、和歌にも、梅を「木毎に」、松を「十八公」などと漢字を分解して詠まれている例がある。「百首」麻呂もまねて遊んでみた。


稲を刈り、田で籾がらを焚く火やその煙りが棚引く情景は、収穫を了えたという安堵感と、暮れゆく秋の寂寥を演出してくれるもの。

辞書によると、漢字の「禾」偏は「イネ科の植物」を表し、「禾」は穀類の穂の先にある毛のこと、「籾」は刀のように尖った禾のある稲殻をいうとある。

したがって、禾に火をつけると、文字通り「秋」を表すことになる。


もっとも、この「秋」の字は略字で、本字は「龝」であり、旁(つくり)は蒐集の「蒐」の集めるという意味の旧字をあてる。

 

大江千里

(百人一首23) 大江千里


  月みればちぢにものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど


一人百首23)


月の顔まぼれば千々にあらはれて一つある身の秋は悲しき

 

輝く太陽の表面は眩くて見ることはできないが、照る月の表面は適度の明るさと陰影があって眺めることができる。今は、夜は電灯の明かりで明るく、月明かりを意識しなくなったが、電灯のない昔は、夜は月が最も明るい光源だったに違いなく、人は今よりもっと月を眺めていたことだろう。古歌に歌材として、月が多く登場することでもわかる。


秋は空気が澄んでいるため、月の表面(月の顔)がはっきり見えるのと、見ている方も肌寒いためか、誰でも心細く、悲しく感じる。

月の顔をじっと見ていると、今は亡き人の顔に見えてくることがあり、そう思うと次の瞬間、また違う故人の顔に見えたりする。そうなると月の方に知り合いの人が大勢おり、自分がひとり地上にいて、見つめられているように思えてくるのである。


管家

(百人一首24)管家


このたびはぬさもとりあへず手向山紅葉の錦神のまにまに


(一人百首24)


手向けにし紅葉の錦散りぼはばかへさに一葉家苞(いへづと)にせむ

 

百人一首の歌の意味は、今度の旅では幣(旅先の神に捧げるもの)も十分準備ができなかったので、この美しい手向山の紅葉を神様思うままにお受け取り下さいというものと、あまりに紅葉が美しいので、これと比べると持参した幣など到底捧げられないので、神様手向山の紅葉を思うままお受け取り下さいという、二つの解釈がある。


いずれにしても、紅葉の美しさを詠っているもので、当時の人は、その美しさを「幣にしたい錦」と発想した点に知的なものを感じ、さすが「天神様」と思ったに違いない。

そこで「百首」は、さらに紅葉の美しさを讃えるために、全部、神様に捧げた紅葉であるが、旅の帰途に散っている葉があれば、せめて一枚でも神様の下がりものとして、家の土産に持って帰りたい、とを詠ったもの。

 

「手向山」は奈良山とする説と、固有名詞ではなく普通名詞とする説がある。

 

三条右大臣

(百人一首25)三条右大臣


名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな


(一人百首25)

名におはば淀野に匂ふ菖蒲(あやめ)にも()()()の妹をみまほしきか

 

百人一首は、その名のとおり、逢坂山に生えている「さねかづら」(モクレン科の蔓)によって、恋しい人と逢え、「さねる」(共寝すること)ことができるのなら、さねかづらの蔓を他人に知られないでこっそり引る寄せる方法が欲しいものだ、と詠ったもの。 

これに対し「百首」は、歌枕である「淀野の菖蒲」の「淀野」に「夜殿」、「菖蒲」に「文目(あやめ)」(はっきり見わけること)を掛け、さらに、淀野を「夜戸出(よとで)」(夜、戸口にでること)にも響かせ、夜殿の妹が私を待ちきれず、戸口まで出てきて、匂うばかりの姿で立ち尽くしている姿をはっきり見てみたいと思う、という歌意である。


万葉集に「吾妹子が夜戸出の姿見てしより心空なり土は踏めども」という歌がある。

 

貞信公

(百人一首26)貞信公


小倉山峰のもみぢ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ


(一人百首26)


みゆき待つもみぢの心葉ひた照れど風のすさびに思ひ散りぼふ

 

百人一首は、小倉山のもみぢを見た上皇が、あまりに美しかったので、天皇にも見せたいと云ったことを、聞いた人が詠ったもの。

もみじ葉を人に擬し、天皇の訪問まで散らないで待っていてほしいと願っている。


これに対し、「百首」はもみぢ葉の身になって、お待ちする気持ちがいっぱいで、ひたすら照り輝いているが、なにしろ風は気ままだから、本当にお待ちできるかどうか、いまから気持ちの方がさきに散り乱れるている、と返したもの。


小倉山は京都の郊外とはいえ、今とは異なり御所から牛車でどの位の時間、日にちを要したか、それを考えると無慈悲な風に耐えて、待っているもみぢ葉に同情したくなる。


中納言兼輔

(百人一首27)中納言兼輔


みかの原わきて流るる泉川いつみきとてか恋しかるらむ


(一人百首27)


わが恋はわきて溢るる泉川いつみのうちを誰きづかはむ

 

 百人一首は、泉川に「いつ見」きと掛け、あなたをいつ見たというのだろうか、恋心はみかの原の泉から流れてくる泉川のように湧いてくる、と詠ったもの。

この歌についても、まだ逢ったこともない恋なのか、逢ってしばらく逢えない恋なのか、解釈が分かれている。


「百首」も川の名前を掛けて詠んだ。わたしの恋は、泉川のように湧き出して身の内に溢れるばかりなので、「いつ身」のうちを誰かが「きづ」(木津)くことだろう。

泉川は木津川の古名で、桂川や宇治川と合流して淀川になる。


泉川の河畔には、聖武天皇が恭仁京を一時置いていた。古今和歌集・覊旅に地名を織り込んだ次の歌がある。 歌に詠われている「かせ山」は、その近辺にある鹿背山である。

 都いでて今日みかの原いづみ川かは風さむし衣かせ山

 

源宗于朝臣

(百人一首28)源宗于朝臣


山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬと思へば


(一人百首28)

人は()草木も枯れし山里の虎落(もがり)の笛をたれがきくらむ


山里は常でも寂しいが、まして冬となると外から訪ねてくる人もなく、草木も枯れて一段と寂しさを増す。

こんな山里の葦の丸屋に訪ねてくるのは、寒い風ばかりで、冬ざれの庭にただ一つ残された虎落の柵に吹き付けては、来る日も来る日も侘しい「虎落の笛」を奏でている。主でさえ、戸を閉じて屋に籠り、聴こうとしないのに、一体誰が聴いてくれるというのだろう。


「虎落」とは、竹を筋違いに組み合わせ、縄で結い固めた柵のこと。現に、竹製の柵や垣根を殆ど見かけなくなり、「虎落の笛」の音を聞かなくなって久しい。


冬が過ぎ、ようやく春が訪れた山里の歌として、こういう歌がる。          春たてど花も匂はぬ山里は物憂かるねにうぐひすぞ鳴く(古今和歌集)

 

 

凡河内躬恒

(百人一首29)凡河内躬恒


心あてに折らばや折らむ初霜の置きまどはせる白菊の花


(一人百首29)

ぬばたまの夜のおどろにうち(すだ)き鳴きまどはせる秋の虫が()

 

百人一首が、美しい初霜と白菊を並べ、それらの美しさを視覚的に白い色の「惑い」としてとらえたのに対し、「百首」は美しく集く虫の音の合唱を、聴覚的に音色の「惑い」としてとらえたもの。


真っ暗な秋の夜のおどろ(草が乱れ茂っているところ)の中に集まった虫が、一斉に美しい声で鳴きだした。

「百首」麻呂には、どの声が何という虫の音か、聞き分けに自信がなく、惑っている。


古語辞典をみると、昔は、今の「こおろぎ」を「きりぎりす」、「鈴虫」を「松虫」、「松虫」を「鈴虫」と云ったという説明があり、なお惑いを倍加させる。

 それでも、美しい秋の虫の音を聞くと、自然と小学唱歌の一節を口遊み、虫の声の復習をしている「百首」麻呂である。 


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